2015年9月24日木曜日

アグネスのオーバーキルさについて

アグネス氏のブログがあるのかツイッターがあるのか知らないが、何者かからの「殺す」だなんだというカキコがあって、アグネス氏が被害届を出して、犯人が捕まったら15歳で、そしたらアグネス氏が残念だとか言ってるらしい...

本件でアグネス氏をdisる人はあまり居ないと思うが言いたい.法的にアグネス氏は悪くないし、悪いのは「殺す」とカキコした15歳であるのはもちろんではあるが、それとは別の次元でアグネス氏って嫌だなっていう印象を深めました.

有名で、金持ちで、政治的で、闘争心が旺盛な人が居たとする.その人の政治闘争の反作用で出てくる敵対者はそりゃたくさんいるだろう.中にはおかしな敵対者も居るだろうし、中にはおかしな賛同者すら居るだろう.だが政治闘争ってのはそういうもんさ.おかしな敵対者一人一人を全て葬るわけにはいかない.限られた人数の政治権力者同士の闘争で状況を収めるしかない.
しかし一方で、おかしな敵対者をなるべく効果的に抑止する手段は無くはない.弁護士費用などに使う金がたくさんあるならば、見せしめのために少数の敵対者を訴訟で懲らしめる事は可能だ.自分に敵対すると痛い目を見ますけど、それでいいの? という抑止力を社会に知らしめる事ができる.訴訟の勝利をひけらかし、自己の(法的)正統性をひけらかす事で安寧を得ることができる.

闘争状態にある政治家や思想家や評論家はゴマンと居るが、日本では名誉毀損をあまり耳にはしない.しかし、アグネス氏の周辺からはやたらと名誉毀損案件が聞こえてくる.

たぶんアグネス氏は、法的正当性をひけらかす事で安寧を得ようとするタイプなのだろう.そんな風に見えるアグネス氏のことを、タイプ分類的に嫌な奴だな、とは昔から思っていたけれど、当ブログで触れたいほどアグネス氏のコトが眼中に在ったわけじゃなかった.

でもこうして書きたくなったトリガーは、アグネス氏が「犯人が15歳で残念」と語ったから.

「15歳で残念」って何が残念なのだろう?

対外的には「15歳があのような過激な書き込みをしてしまうとは恐ろしい」とコメントするのが妥当かと思いますが、そういう単純なハナシではなかろう.

憶測ですが、アグネス氏の残念とはこういう葛藤状態ではないか?

アグネス氏の行動原理は、勝てる奴にはとりあえず勝っておき、それをひけらかす事で、自己のポジションを有利にしておくに越したことは無い、という処世術をベースに置いている.憶測ですが.
「殺す」と書かれた今回も、負けは無いのでとりあえず告発したが、なんと犯人が15歳だった.ネットのカキコという軽犯罪ではあるが、15歳の少年に前科者の烙印を押してしまったのは、自己の博愛的ポジションからするといささかオーバーキルだったかしら、、、残念だわ.憶測ですが.

そう、今回のアグネス氏は結果的にオーバーキルだったと思う.犯人が25歳だったらいつもの計画通りでよかったのにね.

結果的にオーバーキル???

果たしてそうかな?

アグネス氏の行動原理が、勝てる勝負にはとりあえず勝っておく主義なのだとしたら(憶測ですが)、常に闘争相手をオーバーキルして廻るリスクを孕んでいるのではないか? たまたま今回は犯人が15歳だったから、ついにオーバーキルが目立ってしまったけれど、その日は訪れるべくして訪れたといえるのではないだろうか?

そんなアグネス氏の行動原理が大陸的な生存本能に依るのだとしたら、それは察しと思いやりの日本的心情とは異質な行動原理だろう.そういう大陸的な人のことをわたしは好みません.
と書いたオレは、もはや名誉毀損でアグネス氏に訴えられるリスクを背負い込んでしまったわけだろうな? 批判者をたじろがらせようとするのがアグネス氏自らが好んで作ったポジションだとしたら(憶測ですが)、そういう者がする言論活動が潜在的に嫌悪されるのもさもありなんというものだろう.

かしこ


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