2015年5月11日月曜日

ソニーを「殺した」のは出井伸之であるか否か (長文)

ソニーのTV事業が黒字転換したそうで、まずはおめでとうございます.そういうタイミングですからソニーの過去を総括し、未来を予想するこういう記事がチラホラとネットにupされています.するとわたしはどれどれと読むわけです.

コンサル視点で今のソニーに対する意見具申が書かれており、新しい技術を新しいビジネスに結びつけよ、というのが結びになっています.そして、iPhoneに負けた出井伸之以降の社長の罪は重い、エレキの復権を願うOBは時代遅れ、と過去を総括しています.

どうなんですかねぇ? これを読んで腑に落ちる読者はどれだけいるんでしょうか? もちろん大筋で正解だとは思いますが、紋切り型の、コンサルなんてこんな論評で原稿料をもらってるんですか、、、みたいな読後感が支配的なんじゃないだろうか?

読者が知りたいのは、
新しい技術を新しいビジネスに結びつけるのに失敗した本質的原因は何なのか?
ではないでしょうか?

それについて、ヒラサカの考えを以下に書きます.
前もってお詫びしておきますと、以下の70%はヒラサカの妄想の産物なので根拠を示せと言われても出来ません.orz orz....

悪いのは出井?
お爺さんなソニーOBとの会話で良く出てくるフレーズが、
「出井がソニーを悪くした、EVAってのはあれはダメだ」
です.件のコンサル氏も、OBへのインタビューで裏取りしたに違いありません.それで出井以降の社長が悪かったと書いたと推察します.だから、コンサル氏の見解はOBのマジョリティによる見解ですから、多数者による見解として間違ってはいないわけなんです.

けれど、ヒラサカは少数意見を持っていて、「出井EVA悪者説」を唱える人には、それは「木を見て森を見ず」ってやつでしょうといつも思うんです.それでヤレヤレ、こういう人とは話しても面白くないなと思うんです.

結論から書くと、悪いのは大賀です.(飽くまでもヒラサカの個人見解です)
それを出井の代でリカバリ出来なかったし、その後の社長にもリカバリはより一層難しくなってしまったのだ、というのが以下で述べる主旨です.

やはり時系列で書くと判りやすいかと思いますので、大賀→出井→ストリーンガー→中鉢→クタラギ という主役交代順で書きます.上手く書けるかは自信はあまりありませんが.

タコツボ化した開発体制
時系列で書くと宣言したのにいきなりそれを破りますが、わたしが書いたこの記事から始めます.
この記事の主旨を一般化すると、
「ビジネスユニットの競争力を最大化する組織再編が成されず、むしろ逆に走った」
という現場に自分が居合わせた泣かせるストーリーです.技術の苦労ならナンボでもするけど、そうじゃないじゃんっていう...

このストーリーは、冒頭のコンサル氏の指摘ともリンクします.
「新しい技術を新しいビジネスに結びつけよ」
をソニーは組織ぐるみで妨害していたとまでは言いませんが、新しい技術を新しいビジネスに結びつけるのを阻害する要因を残したままで新ビジネスをkick-offしようとしても上手く行かなかった.そういう現場がソニーには至る所にあって、自分もその隅っこに属していて隅っこで地団駄踏んでいました、というストーリーだからです.

他のビジネス阻害要因の温存事例を挙げますと、、、

・walkman向けに楽曲ネット配信を最初にやったのはAppleではなくソニーでしたが、ソニーミュージックの著作権と課金の実装が上手く行かず、後にAppleが著作権へのこだわりを弱めたiTunesに席巻されてしまった.

・モバイル機器で活用されるとあるパーツをソニーの仙台で開発していました.パーツですから仙台の部品事業部がそれを開発していました.仙台は基本的にデバイスとメディアをやる人々ですから、システムの仕事は不得意です.ご縁があってわたしが加わってシステム面の仕事を担当するコトになりました.仙台製デバイスと組み合わせてお客さんに使ってもらうLSIを開発するのがわたしの仕事でした.ところが、後発だったので他社の特許でがんじがらめだったんです.LSI設計のために必要な技術を確保するため900件もの他社特許を読み漁りました.特許調査をしていた頃のわたしが痛感したのは、仙台のデバイス屋がデバイス開発しているだけではダメで、もっと早くからシステム屋と協同開発せにゃ売れるデバイスは作れませんぜっていうコトでした.この状況はタコツボだ.

つまり、コンサル氏がいう「新しい技術を新しいビジネスに結びつけよ」を阻害していたのは、
 ・ストレージ        ヘッドが技術ポートフォリオに入っていなかった
 ・net walkman    著作権をビジネスポートフォリオに上手に入れられなかった
 ・デバイス          システムが技術ポートフォリオに入っていなかった
ビジネスポートフォリオの喪失、ソニーが新技術をビジネス化するのに失敗したキーポイントはこれだとわたしは思うんです.

と同時に、ポートフォリオという着眼点のない「悪いのは出井のEVAだ」という単純見解には同意できません.もっとも、お爺さんOB達がいう「悪いのは出井のEVAだ」という見解を、ポートフォリオ観点で捉え直すコトも可能ではあります.
それはどういうコトかというと、、、
昔のソニーは、効率の悪い経営をしても大丈夫なくらい儲かっていたので、デバイス事業部にシステム屋が同居するだけの余裕があった.その環境が結果的に様々なビジネスユニットが適切な技術ポートフォリオを確保できる環境になっていた.ところが、出井がリストラした結果、デバイス事業部にはデバイス屋しか残れず、セット事業部にはセット屋しか残れず、開発体制がタコツボ化した.だから出井のリストラは悪かったのだ、というストーリーで「出井のEVAが悪い」とおっしゃるのならわたしにも同意できる部分があるわけです.



以降ではほぼ時系列順に行きます.

大賀社長
わたしがソニーマグネスケールに入社するより5年前の1982年、たしか4代目社長だと思いますが大賀が社長になりました.社長レースでは大賀と森園という人が熾烈な競争をしていたと聞きます.

森園という人の事を悪くいう技術者をわたしは知りません.ソニー厚木の放送機器事業を作った偉人の一人です.森園はUSの放送ビジネスの人々と友達で市場動向を正確に理解できており、また技術論にも長けていて、厚木の開発部隊に適切な目標を投げ、無駄だとわかったらすぐに止める、そういう人だったようです.放送機器はテープ装置ですから、仙台のデバイス屋とメディア屋の開発outputに厚木が深く依存しているコトも理解していました.放送機器事業の立ち上がり時期には、セット+デバイス+メディア+市場調査というビジネスポートフォリオが、森園の元で完備していたわけです.森園が社長になれなかったとき、他社からこう言われたとか、「ソニーさんが森園さんを社長にしなくて助かりましたよ、あの人が社長だったらどれだけ恐ろしかったか?」

ところが、森園とはタイプの違う大賀社長と森園が喧嘩して、大賀は森園派閥のパージをし始めました.パージされた森園派閥が、わたしが入社したばかりの頃のソニーマグネスケールに飛ばされたりしていました.森園も一時はソニーマグネスケールの会長をやってました.本来はそんな立場に留まる人ではありませんでしたが.
そういうパージ組がソニーマグネスケールでのわたしのボスだった時期もあり、今でも親交がありまして、去年会ったときに、
「仙台を大切にしなくちゃいけない、セット屋はデバイスが無けりゃ何もできないんだから」
と言ってました.この人は技術ポートフォリオが判っているなと、感銘を受けました.本来は当然なコトなんですけどね.

1990年頃、ソニーマグネスケール社員の立場のわたしがソニー本社の人と同席したら、森園派閥のパージは完了済みで、盛田派閥vs大賀派閥の戦闘中だと判りました.すごく古いOBから聞いたハナシでは、盛田が大賀の解任動議を役員会に提出するべく動いていた時に、盛田が倒れて一線から退いてしまったと聞きました.ソニーが滅びずに済んだかどうかのpoint of no-returnはこの時点にあった、とわたしは思っています.盛田が大賀を解任したかった理由は「このままではソニーは普通の会社になってしまう」だったそうです.

金欠な中企業を大企業に育て上げた盛田派閥と、卓越した技術構想力で厚木を創った森園派閥をパージしたら何が残ったのか?
正しいのは誰かを決めない風土
しばきあいなんかしない紳士的風土
すなわち官僚的風土
一方でソニーから消えたのは何だったのか?
人類技術の最先端に立ち続ける気合い
社員に慕われ、かつ従わせるカリスマ
ビジネスを成功させるためのなりふり構わぬ気合い
盛田のいう「ソニーが普通の会社になってしまう」とは具体的にこういうコトだったのだとわたしは思います.

大賀時代にCDのような商品を出せていたから大賀時代はよかったというのは現象論としてはそのとおりですけど、なんのコトはない、前任者時代の遺産を食いつぶしていただけです.大賀時代に出現したのはプレステだけです.
わたしはソニーマグネスケールに居たので詳しくは知りませんが、大賀が「R&D戦略部」というのを創設して、人類技術の最先端に立ち続ける気合いのある者をバッサバッサとリストラしてたみたいでした.まぁ、それでも出井がやったリストラよりはまだ甘かったのは歴史が物語るところでしょうが.

大賀が行った最大の悪政は他にあって、
大きな利益を出した者を役員にする
だったと思います.ソニーを利益史上主義にしたらマズイだろって.
誰とは言いませんけど、開発部隊と開発projectに大なたを振るって、巨額な利益を出した事業本部長が順調に出世みたいなハナシが出てきたのは大賀時代ではなかったか? ソニーが、人類技術の最先端に立ち続けられなくなった根本原因はこの、高利益率=役員昇進というルートを大賀が作ったからだとわたしは思っています.

森園を追い出し、盛田と不仲で、高利益=役員という企業風土に造りかえた大賀、彼こそが今のソニーの追い詰められ状況を作り出した根源だったとわたしは思います.

出井社長
やがて出井に社長が交代したとき、出井はこう言ってたそうです.
「プレステ以外に元気のあるビジネスがないや」
それは前任者のせいですから、ご同情申し上げます.

出井は何をやったのか?

ソニーについての経済記事で読んだ説ですが、大賀時代に財務状況がスゲー悪化して、それを出井が立て直したとする説があります.ホントだったらご苦労様です.

そして、OBから評判の悪いEVAですが、わたしは出井に同情的なんです.出井がEVAを提唱していた頃、わたしはこう思っていました.
「出井さんはリストラの方便としてEVAを提唱しているんだな.カリスマの無い指導者がするリストラはつらいもんだな」
当時のソニーの財務状況からして、リストラは必要だったと思います.仕方なかっただろう.

上で書きましたが、出井リストラの結果、ソニーの開発部隊が適切な技術ポートフォリオを組みづらくなってしまったのではないかとわたしは推測しています.それに対して、出井ら経営陣が技術ポートフォリオの観点から適切かつ大胆に組織改編をしていれば、もう少し明るい情勢が展開したのは間違いないでしょう.そういう意味で、出井の指導力に問題があったのかもしれません.

ならば出井が、EVAを提唱しなければリストラ一つできなかったのは何故か、組織改編が出来なかったのは何故か、と問うてみる必要はあるでしょう.

トップダウンで号令をかけても、事業本部長や事業部長は出井ごときが何を言うみたいな面従腹背でいうことを聞かない.そういう風土がソニーにはあったと思います.だから出井はEVAを提唱したと推測します.

事業本部長や事業部長が社長のいうことを聞かないのはなぜか?
独立系で大成功した青天井企業だったから
だと思います.
例えば三菱グループでは、世襲の当主が封建領主のごとく存在していて、ゆえに三菱グループ企業の社長・役員の世界観は青天井な気分になんかなれるわけがなく、自分は誰かの雇われ人だという意識に呑み込まれているのではないでしょうか?
ところがソニーには、盛田家という当主がいたけど盛田家の世襲にはならず、しかしソニーは世界から羨望の眼差しで見られるような発展を遂げた.しかもソニーは、官公庁ビジネスをあまりやって来なかったので、官公庁という殿上人に抑圧される場面も未経験な企業だった.だから、上から押さえつけにくる権力が何も無いという立場におかれた成功企業だったわけです.そういう会社の役員だったりしたら、彼らの世界観は青天井になっても不思議じゃありません.
青天井感覚はわたしですら感じ取りましたもん.ソニーマグネスケールに居たときには、ソニーが上にいました.日本HPに居たときには、USAのHP-HQが上に居ました.ソニーに居たら、上は居ませんでした.下っ端のわたしですらそう感じたくらいです.
その青天井感覚が役員の下ぐらいの階層に蔓延していたために、出井がトップダウン的権力行使が出来なかったのだとわたしは思っています.

出井がやったコトは何かに戻ります.
出井はスカパーやso-netに注力しました.そっちに発展余地があると考えていたのでしょう.誤りでは無かったけれど、OBからは「スカパーやso-netではグループ社員の雇用を守れない」という批判がありました.OBの批判ももっともですけど、出井時代にエレキ事業をどうできたというのでしょうか?

もっとも、エレキの復活のための答えは存在していました.クタラギが語っていました.クタラギについては後で語ります.

以上、出井については前任者の尻ぬぐい要素が多々あり、わたしとしては一貫して同情的です.しかし、出井には一つだけ、どうしようもなく禍根を残した失敗がありました.
後継者をストリンガーにしたこと
なんで外人なんだよ? OBから、出井辞めろと言われて会長を引きずり降ろされた出井としては、そのルサンチマンを晴らすために後継者をストリンガーという「出井路線に理解のある者」を据えたのでしょう.ストリンガーは会長で、社長にはメディア事業出身の中鉢が就き、クタラギの出世は止まりました.
ソニーがエレクトロニクス業界のメジャープレイヤーで居られなくなったpoint of no-returnは、クタラギの出世が止まったこの時だったと思います.この時にソニーは終わりました.

ただし、後日クタラギを完全に追放したのはストリンガーでした.

ストリンガー会長と中鉢社長
ストリンガーと中鉢の二人三脚体制は、わたしがニュースで知った情報では微妙な雰囲気だったのかもしれません.ストリンガーが海外メディア向けに語るのは出井のようなネットワーク路線で、しかし中鉢が国内向けあるいは社内向けに語るのは「ものづくりの復活」でした.USの株主を納得させるためのストリンガーの芝居と、国内向け及びソニーOB向けの中鉢の芝居、そのどちらが真実なんだろう???

どっちが真実だったのかは、2008年のリーマンショックで判明しました.中鉢が降ろされ、2009年4月からストリンガーが会長と社長を兼務しました.ストリンガーが「エレキの復活はあきらめろ」と中鉢に命令したけれど、中鉢がそれを断ってあっさりと解任されたとどこかで聞きました.ありそうなハナシです.

その後のソニーがどうなったかは、皆さんご存知の通りです.所有不動産の売却、事業の売却、後先考えないリストラ、、、エレキの復活の目は完全に絶たれました.

いったいストリンガーは何のためにソニーの会長に招かれたのか? 意味が判りません.
そしてそのストリンガーを後継者に据えた出井は今何を考えているのでしょうか?
最後にとんでもない決断をしてくれたと、出井には苦情を言いたいです.

ストリンガーはトンデモ野郎だったが中鉢はGOODだったのかというと、わたしは中鉢の提唱する「ものづくりの復活」に全面的に賛成はしていませんでした.
ソニーが高収益を上げられていた時代は、トリニトロンという真空管と、ビデオというメカトロが競争力の源泉だった古き良き時代でした.中鉢の提唱するものづくりとは、真空管とメカトロに回帰するというニュアンスにわたしには思え、真空管とメカトロではない何かに向かって進むというニュアンスは感じられませんでした.それは違うんじゃないかなと思っていました.

ではソニーのエレキはどこへ進むべきだったのでしょうか?

登場人物の時系列的順序からするとやや逆戻りですが、クタラギがその正論を語っていたとわたしは思います.

クタラギ副社長
クタラギという人は久しぶりに登場した、やりたい技術を追求してそれでビジネスを成功させた立役者だとわたしは思っていました.

中鉢からは古き良き時代のソニーの復活という匂いを感じていましたが、クタラギは違いました.クタラギは、真空管とメカトロなんかに未来はなく、その代替は
プロセスとソフト
だと主張していました.クタラギがモロにそう言っていたわけではなかったけれど、ひら的に翻訳すると、
古いソニー     真空管とメカトロ
新生ソニー     プロセスとソフト
とクタラギは対比していたと理解しています.

これには全く賛成で、2015年のいま、エレキ産業の競争力が、LSI(プロセス)だったり、LCD(プロセス)だったり、FLASH(プロセス)だったり、アプリ(ソフト)だったり、ネットワーク(ソフト)だったり、クラウド(ソフト)だったりするのに異論を唱える人は居ないでしょう.どう考えても、トリニトロン(真空管)ではないし、HDD(メカトロ)ではないし、VTR(メカトロ)に競争力の源泉はありません.

ところが、出井が中鉢を社長にしてしまいました.出井からストリンガーへの申し渡し事項には、「盛田夫人を大切にしろ」というのがあったのは知られています.そこでわたしの邪推ですが、クタラギは盛田夫人におべっかを使うような人じゃないので、盛田家に嫌われたとかそういうショボイ理由が中鉢の社長昇進、クタラギは据え置きという人事に影響したのではないか? 出井が若い頃に盛田のご子息の家庭教師だったから出井は社長になれたわけなので、出井はクタラギを社長に推さなかったのではないか? ちなみに中鉢はキチンとおべっかを使う人だったようです.

クタラギはどんどん閑職に追いやられて行きました.

クタラギがSony Conputer Entertainmentという子会社でプレステビジネスを始めたのには、クタラギなりの反骨心があったのではないかとわたしは想像しています.ソニー本社の一部門だと王様として君臨しづらいし、いろいろとチャチャを入れてくる奴らが居るし、、、っていうので子会社という別世界を創ったのではないか? そこでPS1,PS2で大成功しました.
しかしPS3のスタートはイマイチで、それでクタラギは追いやられて行ったのが外面的な見え方ですけど、たかがPS3がイマイチだっていうだけでPS1,PS2の功労者がクビになるものでしょうか? ちがうと思います.

当時、ソニー本社のエレキ事業の不調は慢性化しており、将来へ向けて開発投資しようという行動よりも、目先の開発投資を打ち切って当年度と来年度のPLを改善しようという行動の方が強くなっていました.ストリンガーが考えそうなコトです.
そんな中、経営効率改善のために役員になったような人が目をつけたのが、
「SCEが別世界で調達とか生産とかしてるのを許さない」
だったというのがひら予想です.すなわち、SCEが子会社でいるのを中止させて、SCEのビジネスを全部ソニー本社に移管しろという、一種の経営統合です.
ところが、クタラギという人はそれに素直に従うような人ではありませんから、ゴネまくっていたのでしょう.ならばクタラギを降ろせというのが帰結で、クタラギは次第に閑職に追いやられていった.ひら的にはそのように推測しています.

wikiによるとクタラギは、2007年6月19日の任期満了を持ってSCEIの代表取締役会長兼グループCEOを退任したそうです.リーマンショックよりも前ですね.

しかしそれだけでは止まらず、Cellを生産するために何千億円も投資した半導体工場を、文字通り全部畳んで売り払いました.これはクタラギが提唱していた、
古いソニー     真空管とメカトロ
新生ソニー     プロセスとソフト
を完全否定する行為でした.その経営判断をしたのが誰だったのか?それはわたしは知りません.本当に知らないんです.ただ、誰か一人の仕業ではなかっただろうなという予感はします.
リーマンショックよりは前の時点で既に、「新生ソニーはプロセスとソフト」などと大言壮語できる気迫のある人は居なくなっていて、ただただ、経営効率改善のためにどの開発projectを潰すか、どの事業所を潰すか、ばかり考えていました.だから、Cellの半導体工場に何千億円も投資したのにビビッてしまっていた役員やその下の階層は大勢居たと思います.ストリンガーがその中心にいたにせよ、クタラギをオシマイにして、ソニーのエレキもオシマイにしたのは、将来像にビビッた集団意識の成せる技だったのではなかったか?

むすび
クタラギ以後の登場人物にはもはや興味がありません.

リーマンショックが襲った2008年以降は誰の身にも冴えない展開でした.リーマンショック後のソニーは、気迫のない、自分の意思で立てない、流民のような会社になってしまったと思います.

冒頭のコンサルが、「OBはソニーにエレキの復権を望んでいる」と書いていますが、わたしはそんな望みは叶わないと確信しています.もう遅いです.

繰り返します.
  point of no-return その1     大賀が解任されなかったとき
  point of no-return その2     クタラギが社長になれなかったとき

そして繰り返します.結局ここに根源があったと.
大賀が、金欠な中企業を大企業に育て上げた盛田派閥と、卓越した技術構想力で厚木を創った森園派閥をパージしたら何が残ったのか?
正しいのは誰かを決めない風土
しばきあいなんかしない紳士的風土
すなわち官僚的風土
一方でソニーから消えたのは何だったのか?
人類技術の最先端に立ち続ける気合い
社員に慕われ、かつ従わせるカリスマ
ビジネスを成功させるためのなりふり構わぬ気合い

それでビジネスポートフォリオの件はどうなったのかって? そんなのとっくにどっかに吹っ飛んでますよ.(苦笑)

エイメン


人気ブログランキングへ

9 件のコメント:

  1. もとは 成長せねばならぬか? と言う疑問です。

    生きて行くには 衣食住 が足り それぞれの運に従う。

    あるいは成長を求め、ついには他方を侵略するのか?(ヒトは此方が好きなようです)

    返信削除
    返信
    1. 成長せねばならぬのか?

      わたしの答えは「致し方なくYES」です.
      成長というのは、「マイルドな分配作用」だと思うんです.
      もちろん高度成長の歪みなんていう副作用もありますが、それでも「マイルドな分配」という果実を得るために「成長」を受諾せざるを得ない.

      では成長を全否定した社会とは何なのか?
      1)分配が生じにくい封建社会
      2)強制的に分配する共産社会
      そんなのはどっちもお断りです.

      削除
    2. 成長の結果 今日夕刻停電した、(雨が止む直前から3時間ほど)
      石油は仕舞ったし、LEDフラッシュでは暗く、洗浄##は使えず、紙は最悪見放された。
      オタックスは使えなく、広域だったらアトムも、もう終わったかと思った。

      昔の電話、セーター、もっと大きなライト、ロウソクを用意せねば。(サニーナ、ウエットティッシュも)


      削除
  2. ヒラサカさんの指摘するソフトとプロセスが技術の主流、そうですね、同感、ソフトに関して一言。典型がソニーのwalkmannを駆逐したアプルの Ipod音楽プレーヤ。Walkmanがギアや磁気ヘッドなど精緻なテープ駆動メカニズムと電子回路で実現していた音楽再生機能をIpodは切手大のコンピュータのプログラムのみで実現した。アプル社長のSジョブズはIpodがそれまで世界を牛耳っていた日本のAV機器(walkman)になぜ勝ったかを語っている。たしかNHKの番組で見た。「日本のメーカは市場に合ったソフトウエア(非モノ,プログラム)を作ることも考えることもできなかった」
    「Ipod is really just a software. Ipodは実はソフトウエアそのものだ」
    モノづくりの画期(非物質財/ソフトがモノの価値の大半を担う)を理解しなかった日本のAV機器産業に対してSジョブズはこの画期を認識し、それに適合的な技術(マイコンのソフトウエア=非物質財)で商品化して勝利。

    返信削除
    返信
    1. 鶴島さんがテープもDISKもやがて東芝のFLASHに置き換わってしまう、とマネ会で喋ったとき、当時テープやDISKで莫大な利益を上げていた社内筋から反発があったとか.青天井的に鼻息が荒い人々の姿です.エイメン

      削除
  3. ソニーOB:佐藤2015年5月11日 22:10

    クタラギさんですか。
    私が入った当時は情報処理研究所にいました。噂によると当時の情処研の所長さん(名前は忘れてしまいました)がクタラギさんをかってまして、いろいろ風当たりが強いのを所長さんが守っていたと当時聞いた事があります。私の記憶が正しければ入社した時に情処研5部が急遽出来たんじゃないかなぁ。そして割と早い時期に5部(6部だったかも)は無くなり、SCEの前身が出来たのではないかと思います。5部に配属された同期は「情処研入ったのにもうすぐ情処研から出されるようだ。」と組織が不安定な状態を嘆いていたのを聞いた事がありますね。
    森園さんを大賀さんが嫌っていたのは有名だったようです。これからネットの時代ということで今のソネットを作る案に対して大賀さんは決済で逆判を押したという話も聞いた事があります。
    大賀さんは仙台に来るたびに「なに?まだテープなんかやってるの?これからは円盤だよ(CDのことでランダムアクセスできるメディアという意味)。テープなんか止めてしまえ。」と言っていたとのこと。
    郡山の時に大賀さんが来賓で来たことがあって、椅子に座って足をぶらぶらしているのを見てこの人も子供のように足をぶらぶらさせるんだ。と思った事があります。
    今のはやりは「切り捨て ソニー リストラ部屋は何を奪ったか 清武英利著 講談社」のようです。ちょっとカチンとくるところもありました。買ってはいませんが。。。

    返信削除
    返信
    1. ソニーOB:佐藤2015年5月11日 22:23

      調べてみたら当時の情処研の所長は宮岡千里氏でした。

      削除
    2. 逆判ですか、秘書に「逆に押しておきなさい」と言ったのでしょうか?www
      自分じゃ押さなそうです.

      これからはDISKだと言われつつも、DISKがテープを超えるビジネスにはついにならずに、やがてテープもDISKもFLASHに喰われてしまった.テープvsDISKの図式でいたっていうこと自体が「人類技術の最先端にいる気合い」が無くなっていた現場だったんじゃなかろうか?

      削除
    3. わたしはCICに志願しました.一年間居心地よかったですよw

      削除