2011年10月10日月曜日

失業した理由シリーズ008 ヘリカルスキャンはおもしろかった

私のキャリアは、ヘリカルスキャンの設計ができるところに就職し、23年後にヘリカルスキャンの開発が地球上から無くなったので失業した、ともいえる.

前回の「ヘリカルスキャンはおもしろかった」で書いたのは、最初の3年間はビデオ技術の勉強ができたからおもしろかったけど、勉強し終わった時にサービス業務ばっかりで嫌気がさしたというところまでだった.その続き.

ソニーマグネスケールではやりたいことがなくなったので、上司に辞めますと言ったら、ソニーのとある研究所に出向させてやるということになった.そこは、CDとかDATを開発しMDを開発中なところでそりゃぁおもしろそうなわけで、受諾した.

で、またヘリカルスキャンをつづけることに.DATの応用商品を開発する部隊に所属した.

その研究所に4年間出向した.ここで、本当の技術開発とはどんなものかを体験した.(H部長ありがとうございました!)

ソニーマグネスケールでは、やればいいのはわかっているけどここじゃぁできない論ばっかりしてたので、その研究所の「必要な技術はつくればいい」的な行動原理を見て、自家中毒的に技術的発想をシュリンクさせていた自分に気づいたときには愕然とした.自分としてはオープンスタンスでいたつもりだったんだけれど、人間って悪い環境に置かれるとこうゆうふうにバカになってゆくのかぁとそのときわかった.自分自身で精神活動にキャップをはめてしまうのだ.やばいやばい.

研究所ではすべてが有意義だったが、とりわけLSI設計はホントのホントに楽しかった.

それまでの私はプリント基板設計しかやったことがなかった.プリント基板設計には部品の価格・サイズ・配置・発注・棚卸しなどなど制約がとても多い.アーキテクチャを考えている時だけは楽しいけれど、実際のプリント基板設計は生みの苦しみばかりである.

しかしLSI設計は違った.思うままに自由に回路をインプリできるんだもんなぁ.制約ばっかりだったプリント基板設計から、制約の一切ない世界へデビュー.もはや、アーキテクチャはLSIの中にしかなくて、シコシコとプリント基板を設計している場合じゃないという印象だった.

LSI設計でもうひとつ重要なことに気づいたのは、入社以来私が好んで関わっていた磁気記録再生回路の基盤技術が、それまではアナログ回路オンリーだったんだけれど、デジタル信号処理で画期的な性能アップを図れる時が来つつあるということだった.その後10年以上このテーマを追求することとなる.

--続く--      つぎへ         前へ

人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿